MOS の温度特性 

  MOS の特性は、温度によって無視できないくらい変化します。高精度な設計を追求すればするほど、注意を払わなければならない項目は際限なく増えていきます。ただし、MOS の温度特性については、次の2つの項目さえ頭に叩き込んでおけば、大きな失敗をすることはないのではないでしょうか。それは、Vth と移動度 μ です。飽和領域のドレイン電流の式 Ids = 1/2 μ Cox W/L (Vgs - Vth)^2 (1 + λ Vds) の中の、この2つのパラメータの温度依存性だけは把握しておきたいところです。勉強し始めの頃は、温度が上がると Vth と μ が上がるのか下がるのか(温度特性が正か負か)ということだけを覚えておけば十分です。正か負かのたったの2択ですので丸暗記できそうなものですが、筆者は記憶力に自信がありませんので、以下のように物理的背景を1クッション挟んで思い出すようにしています。

  Vth は、温度が上がるほど下がります。つまり、Vth の温度特性は「負」です。直感的には、Vth は、半導体中のキャリアが電流として流れ出すために必要な電場のエネルギー(正確にはポテンシャル)と考えることができます。ゲートとソース間に与える電場のエネルギーが、ある一定値を超えてはじめて電流が流れ出します。その一定値が Vth です。キャリアの持つエネルギーは、電場の強さだけで決まるわけではありません。周囲の温度による熱エネルギーも、キャリアのエネルギーに加わります。温度が高ければ高いほど、キャリアが得られる熱エネルギーも増えていきます。これが、キャリアが電流として流れ出すことを後押しすることになります。つまりキャリアは、熱エネルギーの後押しを受けると、普段よりも少ない電場エネルギーで流れ出すことができます。これを別の言い方をすると、「Vth が下がる」となります。これが、Vth の温度特性に関する物理的背景です。「温度が上がるとキャリアが得られる熱エネルギーが増える。よって、キャリアが流れやすくなり、結果的に Vth が下がる」と覚えて下さい。

  


  

  移動度 μ も、温度が上がると下がります。つまり、μ の温度特性も「負」です。ただしその関係する物理現象は、Vth とは全く異なります。Vth は、キャリアがドレイン電流として流れ出すまでの物理であるのに対し、移動度 μ は、ドレイン電流に昇格した後の物理です。電流に昇格した後のキャリアは、ドレイン−ソース間にかけた電場によって加速します。しかし、半導体の中に多数存在する原子核に衝突して減速します。1つ1つのキャリアが加速と減速を繰り返し、次第にある安定な状態で両者が釣り合うようになり、ドレイン電流の大きさが決まります。ある電場を加えた時にどこで釣り合うかは物質によって異なり、それを移動度 μ と表すわけです。つまり、減速しやすい物質は、μ が小さくなります。

  キャリアの行く先を邪魔する原子核は、キャリアのように物質中を移動することはできません。しかし、その場で黙ってじっとしているかと言うと、そうではありません。その場で激しく振動しているのです。そして、激しく振動するほど、キャリアが原子核に衝突する確率が大きくなります。この振動の大きさは、原子核の持つ熱エネルギーによって決まります。つまり、温度が高いほど原子核の熱エネルギーが大きくなり、振動が激しくなって、キャリアがぶつかりやすくなるために移動度が下がります。これが、移動度の温度特性が負になる理由です。

  なおここで、キャリアには熱エネルギーが注入されないのか、と疑問に思われる方もいらっしゃると思います。キャリアにも熱エネルギーが注入されれば、加速の度合いが増えて、原子核の振動の激しさに打ち勝てるのではないかと。そんなあなたは、優れた物理のセンスをお持ちの方だと思います。確かに、原子核と同様にキャリアにも熱エネルギーが分配されます。しかしそれは、キャリアを加速させることはありません。もう少し正確に言うと、熱エネルギーはキャリアを加速はしますが、電場と同じ方向に加速度を高めることはなく、ランダムな方向に加速させます。そもそも「熱」とは、物質のランダムな活動の大きさを示す指標なのです。よって、個々のキャリアの加速の平均をとると、結局ゼロになり、熱エネルギーによって移動度が増えるという可能性はなくなるわけです。

  結局、Vth と μ の温度特性は、どちらも負ということになりました。しかし、温度を上げるとドレイン電流が必ず小さくなるかというと、そうではありません。ここでもう一度、ドレイン電流の式 Ids = 1/2 μ Cox W/L (Vgs - Vth)^2 (1 + λ Vds) を思い出して下さい。Vth は、(Vgs − Vth)として登場しています。Vth の前にマイナスがついていますので、(Vgs − Vth)の温度特性は正となります。よって、μ と(Vgs − Vth)は互いに逆の温度特性を持つことになります。そのために、温度を上げると電流が増えるか減るかは、はっきりと決まらず、Vgs に依存します。具体的なグラフは、例えば「CMOS IEEE」の 9.1.3 Temperature Effect に載っているものが参考になりますのでご覧下さい。

  以上が、Vth と μ の温度特性に関する物理的背景と定性的な理解です。これらを把握してさえいれば、アナログ CMOS 回路設計者としての最低限の素養を持っていると言えます。しかし、余裕がある人は、Vth と μ が定量的にどのくらいの温度依存性を持つかを、ある程度覚えておくと便利だと思います。もちろんプロセスによってその度合いは変わりますが、Vth の温度依存性は、おおよそ − 1 mV / ℃ と覚えておくとよいでしょう。そして移動度 μ は、温度の -1.5 乗に比例すると覚えておいてください。

  このように、MOS の温度依存性を見てきましたが、実際の設計では、抵抗素子やバイポーラトランジスタなど、CMOS 以外の素子の特性も考慮する必要が出てきますのでお気をつけ下さい。

 

 

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